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東京地方裁判所 昭和42年(ワ)11524号 判決 1968年12月10日

原告

簑和田ミツイ

ほか二名

代理人

中根宏

落合光雄

大谷昌彦

被告

日立運輸株式会社

代理人

由井秀雄

主文

一、被告は原告簑和田ミツイ、同富士一、同光子に対し、各金八〇万円およびうち金七〇万円に対する昭和四一年三月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

二、原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの連帯負担とする。

四、この判決は原告ら勝訴の部分に限り、仮りに執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一、原告ら

被告は原告らに対し各二五〇万九五七六円およびうち二二八万一五七六円に対する昭和四一年三月二五日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払いをせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決および仮執行の宣言

二、被告

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二  請求原因

一、(事故の発生)

昭和四一年三月一〇日午前七時頃、東京都江東区深川清澄町二丁目一一二番地先交差点(以下本件交差点という。)において、訴外渡辺秀三(以下渡辺という。)は大型貨物自動車(足一い七五三五号、以下甲車という。)を運転進行中、訴外有賀儀重(以下儀重という。)運転の原付自転車(以下乙車という。)に甲車を衝突させ、儀重を路上に転倒させてこれを轢過し、同月二五日死亡させるに至つた。

二、(被告の地位)

被告は甲車を所有し、これを自己のために運行の用に供する者であつた。

三、(原告ら、儀重、有賀喜美子の関係)

昭和二九年頃、原告ミツイは儀重と知り合い、同三〇年四月頃同人と結婚し、東京都中央区入舟町一丁目二一番地に新居を構えて同棲し、夫婦共同生活を開始した。同原告は儀重の収入により主婦として家計を賄う等その実態は完全な夫婦関係であつたが、婚姻届の手続をしなかつたため法律上内縁関係にすぎなかつた。同原告は同棲を始めた頃は儀重が独身であると思つていたが、暫くして同原告が儀重に婚姻届の提出を求めた際、儀重は初めて戸籍上の妻子があることを告白した。しかし同原告は儀重から戸籍上の妻にすぎない有賀喜美子(以下喜美子という。)とは事実上の離婚状態にあるので近い内に協議離婚するとの説明を受け、同原告はその言を信じていた。その後本件事故によつて儀重が死亡するまでの一一年間両名の事実上の夫婦共同生活は完全に継続し、その間昭和三三年九月六日長男の原告富士一、同三六年二月二二日長女の原告光子の二児を得た。

他方、儀重と喜美子との間では、原告ミツイと儀重との内縁関係が始まる約二年前の昭和二八年頃から夫婦共同生活の実態が失われ、儀重は離婚を前提として喜美子とその子ら(有賀重利、同富喜子、同すみ子、同幸夫)を本籍地および旧住所地である長野県上伊那郡箕輪町大字中箕輪九六二七番地に残し、別居のため単身上京し、東京都中央卸売市場に勤務していた。

爾来、儀重は昭和三三年に実母が死亡した際短時日帰郷した以外右本籍地に帰郷したこともなく、喜美子の方も昭和三九年に当時の儀重の勤務先である森卯商店に、早く籍を抜いてくれと電話してきたが、儀重が多忙のため右手続を怠つていたので、結局籍は抜けないまま本件事故の日まで推移してしまつたのである。

四、(扶養請求権の存在)

原告らは、儀重が本件事故によつて死亡するまで、継続して事実上の夫婦として、また親子として共同生活を営み、しかもその間儀重と喜美子との関係が前記したとおり事実上の離婚状態にあつたのであるから、原告らは儀重に対し、それぞれ妻および子として法律上の扶養請求権を有し、儀重のもたらす収入の全部によつて扶養を受けていたのに、儀重の死亡によりその扶養請求権を侵害され、次のような損害を蒙つたのである。

五、(損害)

(一)  扶養喪失による損害

儀重は、昭和三九年頃から東京都中央卸売市場内の生蛸加工業者森卯商店こと訴外小森卯一郎方に勤務し、昭和四〇年度において月額平均六万〇四一六円の収入を得ていた。儀重の生活費は右収入の二五パーセントを超えないので原告らは残額四万五三一二円について扶養を受けていたところ儀重の死によりこれを失つた。儀重は当時五一才六カ月の男子で、第一〇回生命表によれば同年令の男子の平均余命は21.61年であり、同人は少なくとも満六〇才までは右勤務先において前記金額以上の収入を得、原告らを扶養し続けたであろうと推認される。

ところで原告らが扶養を受けていた割合は平等と見てさしつかえないから、原告らは各自毎月一万五一〇四円の扶養請求権を失つたことになり、ホフマン式(複式、月別)計算法により年五分の割合による中間利息を控除して原告ら各自の扶養請求権の現価を求めると一二八万一五七六円となり、原告らは同額の損害を蒙つたことになる。

(二)  原告らの慰謝料

原告ら各自につき、一〇〇万円(原告ら固有のもの)

(三)  弁護士費用

原告ら各自につき、二二万八〇〇〇円(但し成功報酬相当分)

六、(結論)

よつて原告らは被告に対し、自賠法三条により、以上合計各二五〇万九五七六円および弁護士費用を除いたうち二二八万一五七六円に対する被害者が死亡した日である昭和四一年三月二五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  請求原因に対する認否

一、請求原因第一、二項はいずれも認める。

二、同第三項中、原告ミツイと儀重とが昭和三〇年頃から同棲していたこと、両名の間に原告富士一、同光子が生まれたこと、喜美子が儀重の戸籍上の正式な妻であつたこと、両名の間に原告ら主張どおり四名の子が生まれたことは認め、喜美子と儀重との間で昭和二八年頃から夫婦共同生活の実態が失われ、儀重が別居のため単身上京したこと、喜美子の方から籍を抜いてくれと申し入れたことは否認し、その余は不知。

すなわち、儀重が上京したのは喜美子および四名の子の生活を維持するために、収入のより良い職場を求める必要が生じたからであり、単身上京することになつたのは家族の住居が確保できなかつたからであり、儀重は昭和三三年頃までは少なくとも一カ月三回は帰郷しており、同三八年頃までは郷里の喜美子のもとに送金していた。又儀重と喜美子の間においては過去に離婚話など一度も出たことはなく、喜美子は儀重が他の女性と、同棲していることを儀重の死後初めて知つた次第である。

三、同第四項は争う。

すなわち原告ミツイは婚姻届を怠つているに過ぎない単なる内縁関係とは異なり、法律上届出の不可能ないわゆる妾であるから、法律上の扶養請求権は認められない。同棲期間の長短、子の有無は扶養請求権の存否と無関係である。

四、同第五項(一)に対して 不知

同   (二)に対して 慰謝料請求権は発生しない。

その理由は扶養請求権の存在を争つたところと同様である。

同   (三)に対して 不知

第四  被告の抗弁

一、(免責の抗弁)

本件事故は儀重の一方的過失に起因するもので、渡辺には何らの過失もない。

渡辺は深川佐賀町に向かうために本件交差点を左折すべく、同交差点において約一九秒間信号待ちしていた。渡辺はその間左折信号を点滅して後続車に対し左折の合図をするとともに、絶えず左右バックミラーを注視し、後続車の有無およびその動静について十分な注意を払いその安全を確認の上で発進し、左折し始めた頃異常音を聞き初めて本件事故を知つた。甲車が発進し、左折を開始するまでの間渡辺の視界には儀重の姿は全く入らなかつた。

儀重は交差点の二〇―三〇米手前から高速度で、甲車の左側面から交差点に進入したため、左折中の甲車左前輪に激突し、同人はその場に転倒し、乙車は更に甲車の下部中央付近にまで飛び込み、甲車のディクェレンシャルケースに接触したものである。

二、(過失相殺の抗弁)

儀重には右に記したような無謀運転の過失がある。

三、(示談の抗弁―原告富士一、同光子に対する抗弁)

昭和四二年二月一五日、被告は喜美子および四名の子が儀重の唯一の相続人であると信じて二〇〇万円で示談した。原告富士一、同光子両名を原告とする認知請求事件判決が確定したのは同年六月一五日であつて、被告は右両名が儀重の相続人であることを知らなかつた。従つて原告両名は民法九一〇条により相続人として他の相続人(喜美子および四名の子)に対し、相続分の主張をするべきであつて、被告に対する(扶養請求権の侵害を理由とする)損害賠償請求は失当である。

第五  抗弁に対する原告らの認否

一、免責の抗弁、過失相殺の抗弁に対して

いずれも否認する。

二、示談の抗弁に対して

原告富士一、同光子は儀重の相続人として同人の損害賠償請求権の相続分を主張するものではなく、同原告らの固有の損害すなわち、扶養請求権の侵害に基づく損害および固有の慰謝料を請求するものであつて、被告の主張は失当といわざるを得ない。

第六  証拠<略>

理由

一、事故の発生

請求原因第一項の事実は当事者間に争いがない。

二、被告の責任

同第二項の事実は当事者間に争いがないので、被告主張の免責の抗弁が認められない限り、被告は自賠法三条により原告らの蒙つた後記損害を賠償する責任がある。

三、免責の抗弁

(一)  証拠によれば、次の事実が認められる。<証拠判断略>

渡辺は甲車(全長8.88米、車幅2.5米、高さ2.92米のキャブオーバー車)の左側助手席に訴外大垣正男を同乗させて、白河町方面から清川橋方面に向けて車道幅員16.7米のアスフアルト舗装道路である通称清川橋通りを西進し、本件交差点にさしかかつた際、前方の信号が赤であつたので、信号待ちのため横断歩道の手前に一時停止した。このとき甲車の左側面と歩道縁石との間には2.65米の間隔があつた。一方儀重は乙車を運転して甲車同様清川橋通りを西進してきて信号待ちのため横断歩道の手前で甲車と歩道縁石との間に一時停止した。甲車は停車の間ずつと左折の方向指示器を点滅させていたが、信号が青に変わるや、渡辺は甲車の前面硝子窓の左側端、地上1.86米のところについているバックミラーだけを見て左後方および左側に人車がいないものと軽信して発進し、時速約二〇粁の速度で清川橋通りに直交している幅員一一米の道路へと左折を開始した途端、甲車と同時頃発進していた乙車に甲車を衝突させて本件事故を惹起した。甲車の左折の方向指示器は前記バックミラーの直下についている。

事故後の深川警察署の実況見分によれば、甲車の左前輪の中心線から九〇糎側方の地点を、乙車と同種の車に人を乗せて移動させ、その状況を甲車の運転席からバックミラー・サイドミラー等を使用して見分した結果次のことが確認されている。すなわち、前記状態の車を甲車の左前輪真横あたりに置くと(以下A点という。)、甲車運転席からは渡辺の利用した前記バックミラーによつては見ることができず、甲車の助手席横扉上部中央に設置されているサイドミラーによつて初めて見ることができる。A点の後方1.5米の地点に置いた場合には、人も車もバックミラーにより確認でき、A点の前方1.4米の地点に置いた場合には前面ガラス越しに人と車が確認できるが、バックミラー・サイドミラーによつては何も確認できない状態である。従つて乙車はA点付近に一時停止していたものと思われ、渡辺はサイドミラーさえ利用すれば容易に甲車の左側に停車していた乙車および儀重の存在を確認しえたはずである。

(二)  右認定の諸事実によれば、渡辺としては甲車と縁石の間隔が2.65米もあつたのであるから、乙車のような二輪車が入つて来ることを予想し、バックミラーだけに頼ることなく、その死角となつている部分についてサイドミラーを使用し、あるいは助手席に訴外大垣正男が同乗していたのであるから同人の助けをかりて、安全を確認の上発進すべきであつたのに、渡辺はこれを怠つたものということができる。同人の過失は明白であり、免責の抗弁は理由がない。

四、過失相殺

一方、儀重としては、甲車の左側バックミラーの直下にある方向指示器が甲車停車中絶えず点滅しているのであるから、前方を注視していればこれに気がつくはずであつたのに、注視を怠つてこれを見のがしたためか漫然発進して直進しようとした点に過失がある。乙車の方が直進車であり、甲車に対し優先権を有していたことその他前掲の諸事情を考慮すると、儀重と渡辺との過失割合は大体四対六と見るのが相当である。

五、原告ら、儀重、喜美子との関係

原告ミツイと儀重とが昭和三〇年頃から同棲していたこと、両名の間に原告富士一、同光子の二児が生まれたこと、喜美子が儀重の戸籍上の正式な妻であつたこと、両名の間に四名の子が生まれたことは当事者間に争いがなく、右事実および<証拠>によれば次の事実が認められ、<証拠判断略>他に右認定に反する証拠はない。

昭和二九年原告ミツイ(大正一五年三月一〇日生)は二九才のとき、同二四年一旗上げようとして上京した儀重(大正三年九月一二日生)が当時たまたま近所に住んでいた関係から、同人と知り合い、同三〇年四月同原告は儀重が独身であると思いこんで一緒になつた。当初は借間がなく別居していたが、まもなく東京都中央区入舟町一の二一に部屋を借りて同居するに至つた。事実上の婚姻関係に入つてから一、二か月経つた頃、同原告は儀重が郷里の長野にいる妻子にあいに帰る際、初めて同人の口から本妻と子のあることを知らされた。そこで儀重が長野から帰つてきた折、同原告は子供が生まれたとき困るので正式の婚姻届を出せるようにして欲しいと頼んだところ、儀重は三年待つてくれれば本妻と離婚し、同原告を籍に入れると答えていた。儀重は同原告と同棲するようになつてからも長野の妻子に仕送りをし、年に何度か長野に帰つていたが、昭和三三年頃母死亡の折に帰郷して以後は帰らなくなり、また生活が苦しいという理由で同三四年以降仕送りもしなくなり、その後本件事故にあうまでの間同原告と儀重とは実質上正式に婚姻した夫婦と何ら異ならない生活を送つてきた。そして両名の間には昭和三三年九月六日長男の原告富士一が、同三六年二月二二日長女の原告光子が生まれた。

一方喜美子は儀重との間に生まれた有賀重利(昭和一九年七月二三日生)、同富喜子(昭和二二年六月四日生)、同すみ子(昭和二四年六月九日生)、同幸夫(昭和二八年五月二八日生)の四名の子をかかえて、百姓の手伝い、土方の手伝い、ボロ集め等の仕事をしながら生計を立て儀重の帰るのを待つていたが、本件事故後初めて儀重が原告ミツイと事実上の夫婦生活を送つていたことを知つた。儀重は同原告と同棲生活一一年目にして本件事故にあい、二週間入院した後死亡するに至つたが、その間喜美子は一度も上京せず、葬式にも列席しなかつた。原告ミツイが儀重の入院中付き添い、葬式も同原告が喪主となつて行つた。

儀重死亡後、昭和四二年六月一五日原告富士一、同光子を原告とする認知請求事件の判決が確定した。

六、示談交渉の経過

<証拠>によれば、次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

被告の事故係であつた訴外松本利一は、当初原告ミツイが儀重の正式の妻であると信じて示談の交渉にあたつていたが、まもなく同原告は内縁の妻にすぎず、長野に本妻がいることが判明した。そこで訴外松本は長野に赴き交渉の結果、昭和四二年二月一五日被告と喜美子他四名の子との間に二〇〇万円で示談が成立した。二〇〇万円の根拠は、儀重の損害の総額は被告の見積りでは二六〇万円程度となるところ、原告ミツイらへの支払分六〇万円を除くという趣旨であつた。原告ミツイらとの間にはいろいろな案が提出されたが結局示談は不成立に終つた。

七、扶養請求権の侵害

(一)  原告ミツイ

同原告は、儀重との内縁関係に基づく扶養請求権の侵害による損害の賠償を求めるのであるが、同原告の自陳するとおり、儀重には戸籍上妻も子もあつたのであるから、同原告の主張する扶養請求権が、第三者の侵害に対して法律上の保護を与えられるに値するものか否かをあらかじめ検討しておかなければならない。

案ずるに、男女双方が内縁関係を成立せしめる合意の下に同棲生活に入り、子を挙げるに至つたとしても、もしその男が、既に他の女と法律上の婚姻関係に立つている場合には、そうでない場合と異なり、直ちに内縁関係の成立を推断することはできない。しかし、もし、その第二の女性が、相手に法律上の配偶者あることを知らず、あるいは、これを知つてもそれとの離婚が近く実現し、自分が正式の配偶者になれるものと信じて内縁関係に入る合意をした場合であり、かつ、男と本来の配偶者との間で婚姻の実質関係すなわち性生活を伴う同居および生計の維持や子女の教育の上での相互協力扶助の関係が失われて事実上離婚同様の状態となり、かえつて第二の女性との間にかかる実質関係が成立し、世間的にも夫婦とみなされて相当の年月を経た場合には、たとえ戸籍上の表示はもとのままで、本来の妻との間に法律上の婚姻状態が残存しているとしても、それはもはや形骸化したものであつて、第二の女性との間に、単なる情交関係ないし妾関係とみなしえぬ内縁関係が社会的事実として成立していると認めることを妨げるに十分なものではないというべきである。

もとより、このような重婚的内縁関係は、現行法秩序の歓迎しないところであるから、これを通常の内縁と全く同様に遇することはできないけれども、反面これを公序良俗に反する絶対無効のものとして排斥し去ることは、かえつて社会的妥当を欠く場合もあると考えられ、結局、重婚的形態に由来する瑕疵を含みつつ、準婚として保護せらるべき側面においては、なお、通常の内縁に準ずる保護が与えられるものと見るのが相当である。

一般に、内縁の夫が不法行為により死亡した場合、内縁の妻には加害者に対して扶養請求権侵害による損害賠償請求権が発生する。けだし、民法七五二条や同法七六〇条は、準婚としての内縁の夫婦間にも準用せられるべきであり、内縁の配偶者は、法律上婚姻関係にある場合と同様に、相手方に対し、同居および協力扶助ならびにいわゆる婚姻費用(内縁の生活から生ずる費用)の分担を期待し、要求しうるのであるから、かかる意味における扶養請求権が第三者の不法行為により侵害された場合には、その故意による行為たると過失による行為たるとを問わず、よつて喪失した扶養に相当する額を損害として加害者に対し賠償を請求しうること、法律上の配偶者の場合と異ならない筈であるからである。(法律上の配偶者が、普通このような扶養喪失による損害を主張しないのは、死亡配偶者のいわゆる逸失利益による損害賠償請求権を相続するとの理論構成により主張するところが事実上右の扶養喪失による損害主張を覆い、その必要なからしめているからに過ぎない。)

重婚的内縁関係にある妻についても、右の意味での扶養請求権はこれを認めるべきであり、従つて、その侵害により損害を生じたとして加害者に対し賠償を請求することもこれを肯定するべきである。ただ、扶養喪失の額を算定するに際し、戸籍上の妻子が存在することを斟酌して相当の減額をなすべきものと考える。けだし、不法行為による死亡事故の遺族のなす損害賠償請求において、相続人の範囲と故人の収入により現実に扶養されていた者の範囲とが一致する多くの場合においては、いわゆる逸失利益による損害賠償請求権を相続したとの理論構成を用いて差支えないが、両者の範囲が相覆わぬ場合、相続による請求の外、更に扶養請求権侵害による損害賠償の請求を認めるのは、右両者がいずれも故人の生存を仮定し将来収入を得つづけたものとして、それを損害額算出の前提としているため、一つの損害を二重に評価するとの不合理を免れず、それだけ加害者に酷であり、公正を欠くから、許すべきものでない。このような、相続人の範囲に属せぬ被扶養者が存在する場合には、初めから相続による理論構成をあきらめ、全部を扶養請求権の侵害として構成し、それぞれの賠償額を算出するか、あるいは、まず被扶養者からの請求を見てその賠償額を確定して後、これを控除した残額について相続人への帰属を論ずべきものである。そして、将来の扶養喪失額を算出するについては、死亡当時における現実の扶養状態を推認の基礎とすべきものであるが、重婚的内縁の場合には、戸籍上の妻につき、現実には夫に遺棄されて何ら生計上の協力扶助を受けていないとしても、その故に夫に対する扶養請求権を否定し去ることはできない(別居が続き離婚同様の状態であるといつても、離婚に伴うべき財産分与はなされていないのであり、まして、このような場合、婚姻の破綻については専ら夫に原因があり、妻には責任がないのが普通なのであるから、離婚を云々するとすれば、慰謝料も考えられる。重婚的内縁関係の成立した場合における戸籍上の婚姻関係は、既に事実上破綻したもの、従つて法律上も解消さるべきものとして把握されるのであり、故人から将来得べかりし扶養の喪失を論ずる場合に戸籍上の妻に認められる扶養請求権は、実質上は、かかる潜在的な財産分与や慰謝料の請求権によつて支えられているものとも言いうるであろう)。従つて、通常の内縁の場合のように、当該の内縁の世帯において妻が夫から受けた日常の扶養の額をそのまま基準とすることはできず、戸籍上の妻およびそれとの間の子女に対して何ほどの扶養がなされるべきであつたかを斟酌することが必要となるのである。

そこで本件について見るに、前第五節において認定したとおり、儀重と原告ミツイとの事実上の婚姻生活は一一年の長期に亘つて続き、当初の三年間ほどは儀重が年に数回本籍地の妻喜美子のもとを訪ねることがあつたとはいえ、その後本件事故までの八年間は儀重の生活のすべては原告ミツイらとの居住家屋において営まれ、妻喜美子との間の夫婦共同生活は全く失われており、儀重と妻喜美子とはただ戸籍上夫婦としての形骸をとどめていたにすぎず、婚姻は完全に破綻し、かえつて儀重の事実上の夫婦生活は原告ミツイとの間に存したものであるから、原告ミツイは、被告主張のような儀重の妾ではなく、重婚的内縁関係にある内縁の妻であると断ずることができ、従つて、儀重に対して扶養請求権を有し、本件不法行為によつてこれを侵害されたものであつて、同原告の主張を、儀重が別に法律上の妻子を有したという理由で排斥することはできない。ただ、扶養喪失による損害額を算定する上で、右の事情を斟酌すれば足りるのである。

(二)  原告富士一、同光子

原告両名が儀重の子であることは当事者間に争いがなく前第五節において認定したとおり、両名は儀重死亡後認知の確定判決を得た者である。未成熟の子に対する親の扶養は、本来共同生活をすべき家族の間の関係であつて、その身分関係に必然的な要素であり、原告両名が儀重に対して扶養請求権を有し、従つて本件不法行為によりそれを侵害されたものであることは今さら論ずるまでもない。ただ、扶養喪失額の算定に当つては、重婚的内縁関係の世帯に属した者として、母である原告ミツイにおけると同様に、法律上の妻と嫡出子が別に存したことを斟酌すべきものと考える。

八、損害

(一)  扶養喪失による損害

<証拠>によれば、儀重は大正三年九月一二日生まれの当時五一才六か月の健康な男子で、東京都中央卸売市場内の生蛸加工業者森卯商店に勤務し、事故当時平均五万円程度の月収を得ていたこと、儀重はその中から小遺いとして一万円を控除し残額四万円を原告ミツイに渡していたこと、他にボーナス年額一二万円程度を得ていたこと(平均月額六万円)、等が認められ、右認定に反する証拠はない。長野にいる妻子への仕送りが昭和三四年来止められていたことは先に判示したとおりであり、その他、原告ら以外に儀重の収入の一部を自己の生計の足しにしていた親族のいたことは、本件において主張も立証もされていない。

第一〇回生命表によれば儀重と同年令の男子の平均余命は21.61年であり、同人は少なくとも満六〇才に達するまでの一〇二か月間右勤務先において平均月額六万円以上の収入を得たであろうと推認されるが、儀重が右年令に達するまで、原告富士一および光子は未成年であるので、右金額はすべて原告ら三名と儀重との家庭を維持するため用いられると見るべきところ、右月額のうち一万円は儀重が小遺いとして費消し、更に原告ミツイの方で儀重自身の食費等を支出していたのであるから、これらを控除し、原告ら三名の扶養にあてられた額は、月々三万六〇〇〇円と見てよい。そして、原告ら三名の扶養享受の割合は、特段の事情のない限り、その主張どおり三者平等と見て差支えないので、各自毎月一万二〇〇円の扶養を受けえたものと推認される。しかるに原告らは儀重の死亡により将来のかかる扶養を喪失したこととなるので、ホフマン式(複式、月別)計算法により年五分の中間利息を控除して原告ら各自の扶養請求権の原価を求めると一〇一万円(一万円未満切捨)となる。儀重の前示過失を考慮すると、そのうち被告に対し賠償を求めうる損害は六〇万円であるが、更に前記のように儀重には戸籍上の妻喜美子が存し、四人の子を抱えて夫を待つていたことを斟酌すると、原告らに帰属すべきは本来の額の三分の二程度が相当と考えられる。よつて、扶養喪失による損害額は、原告ら各自につき四〇万円となる。

なお、被告は、示談の抗弁を提出しているが、それは、被害者の相続人のみが賠償請求権者たりうるとの見解を前提としているものというべきところ、当裁判所は、前示のとおり、被扶養家族からの請求を肯定するばかりでなく、むしろ、相続人からの請求よりもこの方を重視する立場をとるのであるから、右抗弁は、主張自体失当と言わざるを得ない。もつとも、既に相続人による請求がなされ、いわゆる逸失利益損害の全額が支払われている場合には、後からの扶養喪失による請求を認容することは加害者の予期に反するばかりでなく、結果的にも加害者に二重払いを強いるに等しく公正を欠くおそれあること第七節(一)で判示したところであるけれども、本件においては、先に第六節で示談経過を認定したとおり、被告側としては喜美子側と交渉する前、既に儀重の被扶養家族としての原告らの存在を十分認識し、これに対する賠償額さえ予定していたのであるから、その額の見積りが過少であつたことは別として、本件原告らの請求自体を予期に反するものとは言えないし、示談による喜美子側への賠償額二〇〇万円は、過失相殺を顧慮しても、死亡事故に対するものとしては甚だ低い額であつて、慰謝料も含まれていることを考えれば、被害者の逸失利益損害の全額が喜美子側に支払われたとは到底言えないこと明らかである。従つて、いずれにせよ、被告側を救済せねば公正を欠くと考えられるような事情は存在せず、抗弁は、実質的にも顧みるに値しない。

結局原告らの扶養請求権侵害による損害はいずれも四〇万円の限度でこれを認めることができるが、右の額を超える部分についてはこれを肯認すべき心証を得ることができない。

(二)  慰謝料

原告ミツイは、戸籍上の妻でなく重婚的内縁関係にある妻に過ぎないのであるが、夫を失つたことによる慰謝料請求については、一般内縁関係にある妻におけると同様、民法七一一条を準用して法の保護を与えるのを相当と考える。原告富士一、同光子は、いずれも原告ミツイと儀重との間に生まれた子であること、他方、被告と儀重の戸籍上の妻喜美子および四名の子らとの間には既に二〇〇万円で示談が成立していること、儀重には前示の過失の存すること等その他本件に現われた一切の事情を斟酌すると原告ら固有の慰謝料は各三〇万円が相当である。

(三)  弁護士費用

以上により原告らは被告に対し各自七〇万円の損害賠償請求権を有するものというべきところ、被告がこれを任意に弁済しないこと、原告らが第一東京弁護士会所属弁護士中根宏、同落合光雄、同大谷昌彦に対し本訴の提起と追行とを委任し、本判決言渡と同時に各自二二万八〇〇〇円の債務を負担することになつたことは弁論の全趣旨により明らかであり、本件事案の難易、前記請求認容額その他本件に現われた一切の事情を勘案すると、そのうち各一〇万円が本件事故に基づく原告らの損害として被告に賠償させるべき金額と認める。

九、結論

以上により、被告に対する原告らの本訴請求は、各自以上合計八〇万円およびその中弁護士費用を除いた七〇万円に対する被害者が死亡した日である昭和四一年三月二五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由であるからこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条を、各適用して、主文のとおり判決する。(倉田卓次 荒井真治 原田和徳)

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